1991年1月米国でローゼンバーグ博士の臨床プロトコールがFDA(Food and Drug Administration Food and Drug Administration:アメリカ食品医薬品局)の認可を受けて最初の遺伝子治療として国立衛生研究所内の病院を舞台にして行われました。当時30歳の女性と42歳の男性でいずれも末期のメラノーマという悪性の皮膚がんの患者に対する治療でした。ローゼンバーグ博士は、後にレーガン元大統領の治療で一躍全米にその名を知られる事になりましたが、この時に実施された遺伝子治療は、予め二人の体内のがん組織から、腫瘍浸潤リンパ球と呼ばれるがんに染みこむ性質を持つリンパ球(免疫系の細胞)を採り出して、これを遺伝子の運び屋として利用しこのリンパ球にがん細胞殺傷能力のあるTNF(腫瘍壊死因子)遺伝子を挿入したものでした。
ローゼンバーグ博士は、当時、遺伝子治療を手掛ける理由をこう語っています。
『私達は、がん細胞を殺せる免疫担当細胞を探し、発見してきた。この免疫担当細胞はすべて既に天然に存在するものだった。だが、遺伝子を分離して操作できれば私たちは、もはやがんを攻撃するために自然に存在する細胞だけに頼る必要はない。遺伝子工学を応用すれば、進化の過程でこれまでに存在したことのない特性をもつ細胞を作り出せるのである。』(『がんの神秘の扉を開く』より)
こうして、がん遺伝子治療という新しい幕が切って落とされたわけですが、机上の考え方とは裏腹に患者にとって治療が利益になったという証拠にはまだまだ乏しいといえます。
しかしながら、世界では、これまでに、500以上の臨床プロトコールと3,000人以上が承認を受けて遺伝子治療は実施されています。
日本では、1995年、北海道大学医学部で免疫不全症に対して1症例が実施されて以降、2015年まで審議終了を含め40以上のプロトコールが承認され、約350症例が実施されています。
90年代に始まった遺伝子治療は、ローゼンバーグ博士の80年代の免疫治療LAK(Lymphokine activated killer cell)療法による免疫治療の研究過程の延長線上でのがん治療から始まったと考えられます。
一方で、70年代に調べられたDNA及びRNA腫瘍ウィルスは、ヒトの腫瘍がどうやって発症するかについて明快で且つ説得力のある理論を提供してくれました。そして、多くのがん遺伝子の発見につながり、細胞の分子生物学の進展に寄与して来ました。
80年代初頭には、がん細胞の遺伝学について、それまで知られていたがん遺伝子の特性とは相容れない実験的証拠が断片的に蓄積し始め、細胞の増殖を阻害あるいは抑制するように作用する遺伝子の存在が明らかになり、そのような抗増殖遺伝子はがん抑制遺伝子(Tumor suppressor genes)と呼ばれるようになったわけです。
80年代に入ると次々にがん抑制遺伝子は発見され、その中でも最も有名になった遺伝子がp53ガン抑制遺伝子です。
米系企業が開発した世界初のがん遺伝子治療用注射製剤Ad-p53が中国国家食品薬品監督監理局(SFDA)に製造・販売が承認されたのは、2004年の出来事です。
5型アデノウィルスのキャリアDNAとヒトp53腫瘍抑制遺伝子を組み換えたこの注射液製剤Ad-p53は、商品名『Gendicine』と名付けられ、中国の製薬メーカーSiBiono社から市場に投入されたことは世界に衝撃を与えました。
Ad-p53は、日本国内では2000年岡山大学、東京医科大学、東北大学、東京慈恵会医科大学で、非小細胞肺がんに対しがん組織局所投与22症例が実施され、千葉大学では進行性食道がん10症例で臨床試験が実施されましたが、単独治療としては臨床的に十分な成果は挙がらなかったとされています。
一方で、中国国家食品薬品監督管理局(SFDA)が世界で初めて承認した遺伝子組み換えヒトAd-p53は、病原性をなくしたアデノウィルス(風邪の原因ウィルスの一つ)をベクター(運び屋)として正常なヒト野生型p53遺伝子を組み込み、局所注射でがん細胞をアポトーシスするというものですが、中国で行われた臨床試験では、後期の頭頸部扁平[とうけいぶへんぺい]上皮がん患者135人が参加し、8週間の腫瘍[しゅよう]内注射と放射線治療の併用で、患者の64%に腫瘍の完全退縮が見られ、29%に部分退縮が見られたとされていますが、これは、遺伝子治療単独の試験ではありませんでした。
日本で行われたAd-p53と中国との臨床試験の大きな違いは遺伝子治療単独か『放射線治療との併用』の違いに有ります。
SFDAは、これをスピード承認し中国国内400の病院、2万人の患者に使用されていると言われています。その後、2006年には、腫瘍溶解性アデノウィルスも承認しています。
2009年2月に科学雑誌に投稿された論文『Effect of Recombinant Adenovirus –p53 Combined With Radiotherapy on Long-Term Prognosis of Advanced Nasopharyngeal Carcinoma』に放射線単独治療とAd-p53治療を複合的に行った場合の5年のサバイバルレートの比較が示されたことで、SFDAのスピード承認は評価されるべきものと言えます。
日本では、p53遺伝子治療剤の治験は、前述の小細胞肺がんと進行性食道がんに対するがん組織局所投与が行われ十分な臨床結果が得られないままとなり評価がされず、がん抑制遺伝子のウィルスベクターの直接投与の臨床研究は、その後、大きな進展が無いままと言えます。
また、遺伝子治療用ウィルス製剤に関しては、『生物の多様性に関する条約のバイオセーフティに関するカルタヘナ議定書』の国内担保法である『遺伝子組み換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律』が施行されていることもありウィルスベクター(運び屋)の日本国内での運用には、経済産業省への大臣確認申請となるなど制限も多いことも問題点でありましたが、ウィルス による遺伝子導入には、安全性という問題点も幾つかの議論が残されているのも事実です。
次の出来事が引き金となり、遺伝子治療は不遇の時代を迎えます。
2002年10月、フランスの病院で遺伝子治療を受けていた重度免疫不全症の男の子が、血液のがん、白血病を発症しました。「21世紀の夢の医療」と期待された遺伝子治療によって、がんが起きたというニュースが世界の医療現場に大きな衝撃を与えました。
同じような方法を使った治療の実施が決まり、準備の最終段階に入っていた北海道大学でも、治療が開始できる見通しが立たず、「遺伝子治療が唯一の有効な治療」と待ち望んできた子供の家族は「治療を受けることができるか」と苦悩したと言われています。
遺伝子治療はがんなど難病の治療にも広がろうとしていましたが、治療のリスクと効果をどう考えればよいのか、当時、世界の研究者たちの間で大きな議論となりました。
ここから、遺伝子治療は失われた10年と言われる時代を迎えることとなったのでした。
日本でも遺伝子治療の臨床研究は停滞しましたが、一方で、欧米諸国での遺伝子研究は激しい開発競争の世界で凌ぎを削ってきました。
2001年当時、世界で、遺伝子治療は532のプロトコール、3,436人の患者が登録されていて、その内62%が、がんに対する遺伝子治療でした。
2002年以降、基礎研究に立ち戻って原因を究明しつつ,治療用遺伝子を患部に運び入れる安全性の増した優れたベクター(運び屋)が欧米のバイオベンチャーで開発されてきました。過剰な免疫反応を起こさず,がんを誘発することもないウィルスを使い、近年の臨床試験では視覚障害や白血病の治療で目覚ましい効果が出ています。
また、ここ数年の間で、遺伝子導入の技術もウィルス からウィルス不使用の技術も開発されてきておりDDS(ドラッグデリバリーシステム)の様相は急速な発展を遂げてきています。
米国では2012年、白血病の化学療法を受けていた危篤状態の7歳の女の子に対し最後の手段として、エイズウィルスを改変したレンチウィルスを用いて治癒に導いたケースが話題になりました。この成功を受け、成人5人、小児22人の白血病患者に同様の治療が行われ、19人からがん細胞が消失しました。これも遺伝子治療の成果の1つであると言えます。一方、専門誌「ジャーナルオブジーンメディシン」によると、2013年に世界で実施された遺伝治療臨床試験の対象疾患別ではがんが全体の64.3%(1,223件)を占め、がんの遺伝子治療は大きな流れとなっています。
遺伝子治療は失われた10年の後,ついに革命的治療法としての使命を果たし始めています。
2012年、米国遺伝子治療学会は、[Target 10]をアメリカ国立衛生研究所(NIH)に提案しました。
Target 10とは、数年以内に実用化可能な遺伝子治療対象疾患として ①レーバー黒内障、②ADA欠損症、③血友病、④X連鎖免疫不全症、 ⑤パーキンソン病、⑥加齢黄斑変性症、⑦副腎白質ジストロフィー、 ⑧サラセミア貧血、⑨EBVリンパ腫、⑩悪性黒色腫を上げています。
また、大手製薬企業も遺伝子治療に参入してきており欧米の大手製薬企業及びNPOが遺伝子治療に参入 したことは注目すべき新たな動きといえます。
①GSK: ADA欠損症、Wiskott-Aldrich症候群、慢性肉芽腫症、異染性白質ジストロフィー等(2010)
②GENETHON(NPO) (*1): Wiskott-Aldrich症候群、慢性肉芽腫症、遺伝性筋疾患(2011)
③Baxter:血友病(2012)
④Novartis: EBVリンパ腫 (2012)、急性リンパ性白血病(2013)
⑤Amgen: 悪性黒色腫など (2011)
*1 NPO法人GENETHON
フランス筋疾患協会(AFM)がTelethon (Television + Marathon) の寄金で1990年に世界最大のGMP準拠ウィルス製造プラントで年間約30億円の予算で臨床用ベクターを製造しています。
このように欧米では多くの国際共同治験が計画されています。
一方、日本では、2014年6月、厚生労働省から『「先駆けパッケージ戦略」~世界に先駆けて革新的医薬品・医療機器等の実用化を促進~』という施策が打ち出されています。
この報告書では、革新的医薬品・医療機器・再生医療等製品を日本発で早期に実用化すべく、日本での開発を促進する[先駆け審査指定制度]と、重篤・致死的疾患治療薬の実用化を加速するための対策を講じるとあります。
2011年、岡山大学発のバイオベンチャーが発見したがん抑制因子REIC(*2)による前立腺がん局所注入による臨床試験が岡山大学病院で、最大36症例で実施され、2014年には、悪性中皮腫に対する臨床試験の審議が終了し、キョーリン製薬とJST(独立行政法人科学技術振興機構)による実用化が発表されました。これらは、REIC断片と新規キャリアである生分解性ポリマー(日東電工)による治療効果が実証されています。(BBRC2008;614)
*2 REIC (Reduced Expression Immortalized cells)
(Cancer Res.2005;65:9617,Cancer Res.2008;68:8333)
また、2014年11月7日、国立成育医療研究センター(東京)より、注目すべきプレスリリースがあり、遺伝子の異常が原因で重い感染症を繰り返す難病「慢性肉芽腫症」の患者に、正常な遺伝子を組み込んだ細胞を投与する治療を行ったと発表しました。症状は改善しており、今後15年以上、効果と副作用を観察するというものです。慢性肉芽腫症は、遺伝子異常が原因で白血球が細菌などを殺す力が弱まる遺伝性疾患です。健康な人から白血球などのもとになる造血幹細胞の提供を受けて移植すれば治る可能性が高いですが、白血球の型が一致する提供者が見つからない場合もあります。同センターは7月、提供者が見つからなかった20代の男性患者に遺伝子治療を実施したと発表しました。
患者の血液から造血幹細胞を取り出し、正常な遺伝子を組み込んだ上で、注射して体内に戻したとあり、患者は正常な白血球がわずかに増え感染症が改善し、同年10月に退院したと発表されました。
2014年9月12日、視力に障害のある日本の女性患者が、世界で初めて、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使った治療を受けたことが発表されました。
この臨床研究には、多くの人が期待を寄せています。この治療法が安全だと証明されれば、他の国々の規制機関のiPS細胞治療臨床研究に対する姿勢も和らぐかもしれないと言われています。
こうした状況下で、日本は、2014年11月、薬事法の改正によって、再生医療等製品として遺伝子治療は、『疾病の治療を目的として遺伝子又は遺伝子を導入した細胞を人の体内に投与すること』と定義されました。
再生医療等製品の特性を踏まえた規制の構築として、『条件及び期限付承認制度の導入』が実施されますが、均質でない再生医療等製品については、有効性が推定され、安全性が確認されれば、条件及び期限付きで特別に早期に承認できる仕組みを導入するとされ、その場合、承認後に有効性・安全性を改めて検証するとされました。
このような法整備によって、世界最先端の医療として再生医療の実用化に向けてのこれらの製品の開発・承認は今後日本において進展していくことが予想されます。再生医療等製品の市販後安全性対策の充実・強化としての『患者登録システム』などについて、運用体制の整備の調査・検討を(独)医薬品医療機器総合機構がシステムの構築・運営を検討しています。
従来の承認までの道筋では、有効性を確認するためのデータの収集・評価に、長時間を要していましたが、再生医療等製品の早期の実用化に対応した承認制度によって、一定数の限られた症例から、従来より短期間で有効性を推定する仕組みを構築するものとして、また、安全性の評価も急性期の副作用等は短期間で行うことを可能とするとしています。特に「再生医療等の安全性の確保等に関する法律」で、幹細胞に関する技術を利用しない免疫細胞はもっとも安全性の高い第三種に位置付けられていることから、細胞医薬品としての実用化も早期になされていくことが期待されています。
一方で安全性対策などの整備として、製品の使用に当たって患者に対して適切な説明を行い使用の同意を得るように努めることや使用成績に関する調査や感染症定期報告や使用の対象者等に係る記録と保存などの安全対策を講じることが課題とされています。
以上のような背景のもと、がん治療に対しては、ローゼンバーグ博士の最初の研究やCAR-T細胞の開発等、免疫療法と遺伝子治療の融合領域で、新たな研究開発が進められていくことも予想されます。また近年は抗PD-1抗体が医薬品として認可を受け注目さていますが、標準治療を含め各治療法単独では治療成績に限界があることは事実であり、がんの治癒を最終の目的とするなら、様々な治療法を組み合わせるプロトコールも必然と考えられます。
一般社団法人国際遺伝子免疫薬学会は、
日本及び世界各国における先端的な細胞医薬品開発の発展及び遺伝子治療法や各種免疫療法と、これに関連する技術の発展に貢献するために岡山県国際交流センターに事務局本部を設置し、日本国内及び海外の大学並びに研究機関の研究者と臨床に係る医師の研究を支援し、一日も早くこのような先端的医療の技術が患者さんの利益に結びつくような橋渡しを実現するために以下の活動を行いその目的を達成する為に設立いたしました。
① 遺伝子治療並びに免疫治療に関する研究会を主催し国内国外から会員を募り国際的な学会を開催する
② 再生医療等製品に必要とされるシステムの構築に関する調査並びに研究
③ 遺伝子治療並びに免疫治療に関する調査並びに研究
④ 遺伝子治療並びに免疫治療に関する正しい知識の普及
⑤ 遺伝子治療並びに免疫治療に関する意見の表明
⑥ 遺伝子治療並びに免疫治療に関する相談窓口並びに国際的な学会開催やその支援活動
⑦ 前各号に掲げる事業に附帯または関連する事業
一般社団法人国際遺伝子免疫薬学会